オペレッタいろいろ その2【ルドルフ・ビーブル氏追悼】

去る、1月27日、指揮者ビーブル氏がフランスで死去したと報じられた。

享年87歳、ウイーンは悲しみにつつまれた。

日本の新聞テレビでは、殆ど採りあげられなかったのは残念であった。

 

ウイーン・フォルクスオパーの監督マイヤーは、追悼の言葉の中で「彼は正に”歴史に残る指揮者”で仰ぎ見る存在であった。

他方、高く評価され、また愛された同僚であり、また仲間でもあった。」と述べている。

 

1972年に初めてフォルクスオパーに登場して以来、今年の元日に「こうもり」を最後に指揮するまで、実に2,273回に及ぶ同劇場の公演を指揮した。

 

ビーブル氏はウイーンの高位の音楽一家に生まれた。

曾祖父と祖父は、宮廷楽長や教会オルガニストであった。

彼はウイーン音楽アカデミーでピアノ、クラリネット、作曲を、更に指揮法をハンス・スワロフスキー教授に学んだ。

 

1948年、グラーツ歌劇場のソロレピティトーア就任を振り出しに、地方の歌劇場の楽長として経験を積み、1960年以降ウイーンのライムンド劇場・アン・デア・ウイーン劇場の指揮者を経て、1972/73のシーズンからからウイーン・フォルクスオパーと契約した。

それは年金受給資格者となる1989年まで続いた。

彼はまた、メルビッシュ音楽祭の指揮者としてブルゲンランド交響楽団を率いて、1995年から2008年までその職にあった。

 

監督ハロルドセラフィンと協力して、この音楽祭を大きく発展させた。

これは、あまり注目されないことだが、ビーブル氏は1999年から2003年にかけて、ウイーン国立歌劇場で「こうもり」と「メリーウイドウ」を指揮している。

そもそも国立歌劇場では、ヨハン・シュトラウスの「こうもり」を除いてオペレッタは殆ど上演されることはなく、オペレッタ専門の指揮者が登場することはなかった。

特に「メリーウイドウ」については、初演以来100年近くたっての劇場初演であった。

 

日本との関係では、1979年のフォルクスオパー日本初公演で初来日して以来、その引っ越し公演は勿論、サントリーホールのニューイヤーコンサート、NHK交響楽団への客演、日本オペレッタ協会公演「メリーウイドウ」指揮など度々来日し、「オペレッタの神様」と言われるほどのフアンがあった。

 

特に最後の2年間には、2015年のニューイヤーコンサート、2016年5月のフォルクスオパー公演「チャルダッシュの女王」、同9月のメルビッシュ音楽祭引っ越し公演と続けて来日。

毎回これが最後と言われながら、まだ当分大丈夫との印象だったのに、まことに残念であった。

 

ビーブル氏の指揮は、ウイーンフィルの多くの指揮者とは異なり、細部を芸術的、繊細に仕上げると言うよりも、オペレッタの内容を良く心得て、リズムと旋律を駆使して劇を盛り上げるタイプの指揮者だったように思う。

それは優れた劇場指揮者として必須のものであり、先輩の名指揮者アントン・パウリク(1901~1975)にも通ずるものであった。

 

ビーブル氏のオペレッタのレパートリーは80作品に及んでいた。

恐らく彼のようなオペレッタ専門の名指揮者はもう出ないだろう。もうオペレッタだけで指揮者の仕事が成り立つとは思えないから。

謹んでご冥福を祈ります。

 

文:柴山 三明

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