「Missシカゴ公爵」のアメリカ

1920年代のシカゴは、活気に満ちていた。南北に5大湖とミシシッピー河につながる水路、アメリカ東部と西部をつなぐ鉄道の要衝として急速に発展し、ことに第一次世界大戦後の好況によって摩天楼の林立する大都市となった。

しかし、暗い面もある。

世は有名な禁酒時代、アル・カポネ率いるマフィアたちと、連邦警察のネス隊長が熾烈な戦いを繰り広げていた。そこからは、ニューヨークなどと同様、多くの成金資産家が生まれた。

 

 

こうした資産家たちは莫大な財産は手にしたが、元はといえば名もない移民出身者が多かったから、次に目指すのは社会的地位と名誉であった。

 

他方、ヨーロッパでは、19世紀後半以降、戦争による混乱や、社会的変化による経済的困難によって、かっての支配者であった貴族の多くが没落の危機に瀕していた。

それは、王家といえども例外ではなかった。そこに目を付けたアメリカの成金の娘たちの多くが、莫大な持参金と共に海を渡り、英国その他、ヨーロッパの侯爵夫人や伯爵夫人に収まった。

19世紀末、ニューヨークの食品業者の娘メアリは、ドイツ陸軍元帥ヴァルターゼ伯爵夫人となり、更にドイツ国王ウイルヘルム2世の愛妾となって、政治的にも重要な役割を演じた。有名なシンプソン事件(1936)は、英国の王位まで危うくした。

 

次にその背景を彩る音楽について少し触れよう。ポピュラーや、ダンス音楽の分野で19世紀の後半を席巻したのがウイーンに始まったワルツなら、20世紀はジャズの時代だった。

ジャズが生まれたのは、それ程古いことではない。19世紀末にニューオーリンズ周辺の黒人音楽として始まったジャズは20世紀になるとアメリカ諸都市に急激に広まった。

そして、1917年以降はジャズレコードの普及がそれを加速した。

20年代半ばには、デューク・エリントンや、ルイ・アームストロングといったスターが活躍し、ポール・ホワイトマン楽団が演奏していた。

20年代前半のシカゴでは、ニューオーリンズ系の黒人演奏者が活躍していたが、漸次街を去り、白人系の演奏者が増え、演奏スタイルも変わっていった。

後にスイングの王様といわれた、ベニー・グッドマンもこの頃はシカゴで仕事をしていた。

そして、スイングの時代が始まる。

 

ジャズはまもなくヨーロッパに進出し、パリからベルリンと流行の輪を広げた。

その流行は、単に音楽だけに止まらない。

特に第一次世界大戦終結後は、文化・ファッション・生活のいろいろの分野でアメリカ的なものが流行していった。

ワルツも、ボストン・ワルツを経て、スロー・ワルツとなり、アメリカ的ダンス音楽に変身した。

 

特に女性のファッションへの影響は大きかった。

髪は短い断髪に、胸はあらわに、スカート丈は更に短くなった。

女性の喫煙と飲酒はある種のスタイルとなった。

セクシーで、魅力的となった女性は新しいダンスに飛びついた。

刺激的な強烈なリズムで熱狂に誘う音楽、正にジャズ゛がぴったりだった。ジャズ系ダンス音楽にも、ステップやムードの違いで、いくつかの種類が生まれる。

ブルース、ツーステップからフォックストロット、チャールストン等々。

 

オペレッタ「Miss シカゴ公爵」は、このような背景に育ったシカゴの大資産家のお嬢様が引き起こした破天荒な野望のお話しである。

文:柴山三明

2017年11月8日(水)・9日(木) オペレッタ「Missシカゴ公爵」

 

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